[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日も今日とて、神谷道場は騒がしい。
弥彦の修行の声、薫の怒鳴る声があるので絶えず賑やかな道場ではあるが、今日は其処に一人プラスされている。
薫の出稽古の稼ぎで臨時収入があったので、今日はスキヤキという豪華な夕食となり、
こりゃ良い時に来たと左之助は遠慮なく(最初からしていたか怪しいが)箸を伸ばし、弥彦と取り合いになっていた。
時折行儀が悪いと薫が注意したが、食べ盛りの子供と図体のでかい子供のような男はちっとも取り合わない。
それを見つめているのは剣心で、薫から「剣心も何か言って!」と二人を指差され、苦笑する。
言った所で聞かないと判っているのは薫も同じだろうが、言わずにはいられないのだろう。
また薫に、それらを放っておけと言うのも無理な話であった。
今も大きな肉を左之助と弥彦が取り合い、箸先で取り合う二人に薫の激が飛ぶ。
「てめぇ左之助! オレは育ち盛りなんだぞ、譲りやがれ!」
「へっ、甘ぇ事言ってんじゃねえよ。お前こそ年上を敬いやがれ!」
「あー煩い! 行儀悪いって言ってるでしょ、やめなさーい!」
「まぁまぁ、薫殿……お主も落ち着くでござるよ」
宥める剣心の声など、まるで三人には聞こえていない。
少年期特有の弥彦の声はよく響き、左之助はそれに負けじと大きな声を出す。
薫がそれに負けまいと更に声を上げて怒鳴るものだから、剣心の声はそれの五分の一にもならない。
よって、穏やかに宥めようとする剣心の声は、他三名の声に完全に埋もれてしまうのだった。
左之助と弥彦の端で両端を摘まれ、二人に引っ張られていた肉。
大岡越前宜しくの強さで彼等は引っ張り合っている。
あれは先に手を離した方の勝ちだった、しかしこれは決してそのような勝負ではない。
それの通りに、引っ張られる肉を哀れんだりして箸を離せば、あっという間に相手の胃袋の中。
目をつけていた肉を簡単に相手に許してなるものかと、二人は顔を突き合わせ、箸を握る手にも力が篭る。
結果、先に根を上げたのは奪い合う二人ではなく、引っ張られている肉の方。
二人の力にもう勘弁してくれとばかりに、肉は丁度真ん中から真っ二つに裂けてしまった。
「うおっ」
「あてっ」
真ん中で力の拮抗を司っていたそれが役目を放棄し、二人は後ろ向きに倒れた。
頭を床に打ちつける音がする。
「いって〜」
「あー! 千切れちまった!」
「当たり前でしょ! 全く、意地汚いんだから」
打った頭を擦る左之助、半分になった肉に嘆く弥彦に、呆れた薫が言った。
「左之、大丈夫でござるか?」
「あー、問題ねえよ」
のろのろと起き上がる左之助に、剣心が問い掛ければ、いつもの返事。
しかし打ち所が少々悪かったのか、左之助は軽く目を回していた。
生来の自慢できる打たれ強さを誇る左之助にしては、実に珍しいことである。
それでも二、三度頭を振ればスッキリしたらしく、そんなになっても箸に掴んでいた肉をタレに浸して口に運ぶ。
手に入れたのは狙っていた本来の大きさの半分となったが、獲物が手に入った事は満足らしい。
弥彦の方は心底残念がっていたが、薫が次の肉を足すとコロリと機嫌を直してぱくついた。
気持ちが良い程の勢いで食べる弥彦に、剣心は小さく笑みを浮かべた。
だが、ふと感じた隣の気配に心中で首を傾げる。
ちらりと横目で隣の青年を見遣ると、左之助がいる。
左之助はコロリと機嫌を直した弥彦に、現金だなんだと言いながら、自分もまた鍋に箸を伸ばしていた。
いつも通り。
いつも通りの左之助だ。
……剣心以外が見れば。
―――――――左之……
喉を詰まらせて、苦しがる弥彦に腹を抱えて笑う左之助。
呆れて叱る口調になりながら水を探す薫に、冷えた自分の茶を差し出す左之助。
受け取った茶を飲み干す弥彦の背中を叩く薫を、母のようだと揶揄う左之助。
いつも通りの左之助だ。
“いつも通り”の。
“いつも通り”で“いようとする”左之助だ。
こんな賑やかな情景の中に、左之助は確かに溶け込んでいた。
けれども、気の良い仲間を見つめるその瞳に、あのぎらぎらとした強い光がない。
「嬢ちゃん、この肉固くなるぞ。食って良いな」
「弥彦! あんたはもっと落ち着いて食べなさい!」
「だって左之助が全部食っちまうだろ!」
「おいコラ、そりゃオレが狙ってた肉じゃねえか!」
「オレが先だ!」
「いーや、オレだぜ」
「弥彦! 行儀悪いから止めなさい! 左之助もいちいち揶揄わないでよ」
早くも第二戦となっている弥彦と左之助。
いい加減にしなさいと薫は言うが、二人はまるでお構いなし。
と、今度は早く決着がついた。
左之助がぱっと箸を離し、その肉は弥彦のものとなる。
喜ぶ弥彦を尻目に、左之助は鍋の下に潜っていた大き目の肉を取った。
「へっ、オレの勝ちだな」
「あっ、ずりぃ!!」
「そっちのはやるよ。感謝しな」
「くっそー!!」
地団駄踏みそうな弥彦を、薫が押さえつけて留めた。
肉と一緒に白飯のお代わりを催促する弥彦に、薫が溜め息を吐きながら応じた。
もう負けてなるかと、弥彦の食事のペースが上がる。
がつがつと食べる弥彦に一同は呆れ、苦笑を浮かべていた。
それは見つめていた剣心も例外ではない。
生意気なぐらいが丁度良い年頃だ。
ムキになって意地になって、一所懸命になって、そんな弥彦に剣心は笑む。
―――――と、そんな時だった。
「どうしてェ、剣心」
「む?」
茶を飲んでいる所に、左之助が声をかける。
湯飲みを床に置いて隣を見遣れば、勝気な眼差しが剣心を見ている。
「どう、とは…?」
「いや。いつにも増して静かにしてやがっから」
「そうでござるか? 拙者はいつも通りでござるよ」
そうか? と問う左之助に、剣心は頷く。
「寧ろ、周りの方がいつにも増して騒がしいと言うか……」
「あぁ、嬢ちゃん声がデケェからな」
「それだけではないと思うが」
あくまで自分の騒がしさは蚊帳の外でいるつもりの左之助に、剣心は眉尻を下げた。
だが左之助は構う事無く、クツクツと面白そうに笑っている。
十九歳にしてはまだ幼さの目立つ笑い顔だった。
そして剣心が思い出すのは、あの川原で見た景色。
……………どうかしているのは、お主の方ではござらんか……?
思ったことを剣心が口に出すことは最後までなかったが、剣心にはそう思えてならない。
出逢ってから、左之助はずっと真っ直ぐに背中を伸ばしていた。
喧嘩屋として初めて逢った時も、相対した時も、左之助の性根は何処までも真っ直ぐで正直で。
確かにほんの少し歪んだ部分はあったかも知れないけれど、それは人として当たり前の部分。
幼心に抱いた傷を、流した涙の悔しさを拭おうとして、必死になっていた結果。
剣心が一人京都に赴き、警察署で再会を果たした時も、左之助は真っ直ぐ背中を伸ばしていた。
問答無用で殴られた後、清々しそうに笑った左之助の顔を、剣心は今でも鮮やかに思い出すことが出来る。
負けず嫌いの左之助は、いつも背筋を真っ直ぐ伸ばす。
自分自身を誇れるように、何より自分に負けない為に、強い自分になる為に。
でも。
――――――あの時、お主は………―――――――
彷徨った右手を、剣心は忘れられなかった。
風に吹かれて飛んだ草笛を、左之助は掴もうとして止めた。
一瞬、確かに届く距離にあった筈なのに。
伸ばした手が下ろされる時、僅かに揺れたことに気付いたのは剣心だけだろう。
お世辞にも上手いとは言えなかったけれど、あの草笛の音は何処か優しく、切なかった。
それは左之助の、きっと今でも癒えない傷を、ほんの少し垣間見せたような気がしてならない。
左之助にとって一番大切で、一番穏やかで、一番悲しかった、思い出を。
けれど、なんでもなく振る舞う左之助にそれを問うことは、剣心には出来なかった。
無理にでも暴いて吐き出してしまえと左之助ならば言えたかも知れないけれど、自分は彼ではない。
笑顔の裏にそっくりそのまま隠してしまった傷跡を、相手を傷付けずに表に引き出す術を、剣心は知らなかった。
―――――左之助――――――………
絶えない笑い声。
消えない笑顔。
その裏に、何を押し隠そうとしているのだろう。
てんでバラバラな長さの話。
場面転換毎に一話…かな?